京都地方裁判所 昭和36年(ワ)105号 判決 1973年10月02日
原告
荒川鹿次郎訴訟承継人
荒川ヒサ子
外三名
以上原告四名訴訟代理人
前堀政幸
原告
辻弥太郎
外一名
以上原告両名訴訟代理人
前堀政幸
伊藤一雄
被告
国
みぎ代表者法務大臣
田中伊三次
みぎ指定代理人
二井矢敏朗
外一名
主文
一 被告は原告荒川ヒサ子に対し金三三万三、三〇〇円、原告水山弘美、同荒川均、同荒川勉に対し各金二二万二、二〇〇円あてと、これらに対する昭和三六年二月一八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告は原告辻弥太郎に対し金五〇万円と、これに対する同日から同割合による金員を支払え。
三 被告は原告若部初郎に対し金二〇万円と、これに対する同日から同割合による金員を支払え。
四 訴訟費用は被告の負担とする。
五 この判決は仮に執行することができ、被告は、原告荒川ヒサ子、同水山弘美、同荒川均、同荒川勉に対し各金二〇万円あて、原告辻弥太郎に対し金四〇万円、原告若部初郎に対し金一五万円の担保を供して仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
主文第一ないし第四項同旨の判決。
二 被告国
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決と仮執行免脱宣言。
第二 当事者の事実上の主張
一 請求の原因事実
(一) 贈賄、収賄各被告事件の公訴提起と審理判決
被告国の公務員である京都地方検察庁検察官は、昭和三三年二月二八日(以下日だけで書いたときは同月のことである)。訴外亡荒川鹿次郎、原告辻弥太郎、同若部初郎(以下原告らという)に対する贈賄、訴外首藤了に対する収賄各被告事件について、別紙目録記載の各公訴事実により京都地方裁判所に公訴を提起し公判を請求した(起訴検察官森脇郁美検事)。
本件公訴事実は、同年三月二六日第一回公判期日以後、昭和三六年四月一三日第三六回公判期日の結審まで審理された後、同裁判所は、同月二八日、原告らおよび首藤了に対し、いずれも無罪の判決を言い渡したところ、同判決は、確定した。
(二) 捜査過程の概要
原告らの地位
荒川鹿次郎は、前記公訴提起当時、訴外京阪コンクリート工業株式会社の代表取締役、原告辻弥太郎は、訴外会社の常務取締役、同若部初郎は、訴外会社の社員であつた。
身柄関係
原告らは、いずれも一二日、京都地方検察庁庁内で、本件公訴事実と同趣旨の贈賄被疑事件の逮捕状の執行を受け、京都拘置所に留置された。
原告らは、一五日、勾留状の執行を受けて、京都拘置所に勾留され、二八日深夜、同所から釈放された。なお、勾留期間中は、接見禁止をされていた。
捜査担当官
荒川鹿次郎は、主として佐藤謙一検事に、原告辻弥太郎は、主として河田日出男検事に、同若部初郎は、主として板東頼稔副検事に、それぞれ取り調べられた。これらの検察官の捜査は、森脇郁美検事によつて統括された。
(三) 違法事由
(弁護人選任権および接見交通権の侵害)
(1) 弁護人選任権の侵害
原告らは、一二日夜、身柄を拘束されたので、原告らの家族、勤務先は、弁護士前堀政幸、同伊藤一雄に、弁護人となるよう依頼した。
そこで、両弁護人は、一三日午前九時三〇分ごろ、前記検察官らに対し、弁護人選任手続をするため接見指定を求めたところ、同庁の次席検事山田四郎は、同日午後一時から午後一時三〇分までの間同庁で接見を許可する旨指定したが、弁護人らの都合で、時刻を同日午後三時以後とあらためて指定した。
しかし、この指定には、次の条件が付せられた。
(イ) 弁護人らに対する条件
原告らと顔を合わせ、会話をしないこと、特に各贈賄被疑事実について言及し、いわゆる黙否権、署名押印の拒否権などについて説明してはならないこと。
(ロ) 原告らに対する条件
弁護人らと顔を合わせ、会話をしないこと、弁護人選任届用紙の署名押印は、弁護人らが原告らに背を向けている間に行うこと。
前記検察官らは、原告らと弁護人らに対し、この条件を守らせたため、原告らは、弁護人から、黙否権、供述を強制されたときの署名押印の拒否権などについて、説明を受けることができず、ただ弁護人選任届に署名押印しただけであつた。
しかも、原告らは同日午前中にすみやかに弁護人選任手続をすますことができなかつた。
(2) 接見交通権の侵害
弁護人らは、前記弁護人選任の日の翌朝から、度々、前記検察官に対し、原告らとの接見の日時、場所の指定を求めたが、検察官らは、これに応じなかつた。
裁判所は、原告らの勾留理由開示手続期日を、二一日に指定した。
そうすると、森脇郁美主任検事は、弁護人らに対し、これと重複する同日午前から午前一一時三〇分まで、京都拘置所で接見することができる旨の指定をした。
弁護人前堀政幸は、原告らが、みぎ開示のため裁判所に出頭する直前に、ようやく僅か数分間接見し、勾留理由開示手続の意義目的を説明することができた。
原告らは、その後釈放されるまで、弁護人らと接見することができなかつた。
このことは、刑訴法三九条三項に定められた捜査官の指定権を濫用したものというほかはない。
(3) 弁護人解任強制
佐藤謙一検事は、昭和三三年二月中旬、荒川鹿次郎を取調べ中、弁護人前堀政幸を解任しなければ、弁護人との接見の機会を与えないと告げて、同弁護人を解任するよう強要した。
(4) 違法捜査
(荒川鹿次郎)
(イ) 前記検察官らは、荒川鹿次郎を取り調べるに当り、荒川鹿次郎が、かつて、京都府警察官であつたとこから、逮捕状、勾留状記載の贈賄被疑事実とは無関係な、京都府警察官幹部に対する贈賄被疑事実について予断、偏見をもつて取調べを行い、自白を強要した。
(ロ) 佐藤謙一検事は、一五日、荒川鹿次郎が、訴外会社社員に対する給与の支払資金調達のため、社長印を持ち帰らせるよう願い出たが、これを拒否し、「お前の会社を潰してやる。」「お前らの会社を潰すのは朝飯前だ。」「連日会社の幹部を隣りの部屋に呼んで会社の作業を麻痺さして潰してやる。」「会社の幹部全部を個々に呼んで徹底的にやつてやる。」などと申し向けて自白を強要した。
(ハ) 前記検察官らは、同年二月中旬、京都地方検察庁で荒川鹿次郎を取り調べるにあたり、「いつまで経つても知らん知らんと言つて何一つ吐かさんとお前を朝鮮人なみに扱つてやる。」「青い着物を着せて四条通りを顔見世に引張り廻してやる。」などと申し向けて脅迫、侮辱して自白を強要した。
(ニ) 森脇郁美検事は、同月中旬、荒川鹿次郎に自白を勧告させる目的で、接見禁止中であるのに、その許可を得ないで、荒川鹿次郎と知り合いの京都府警察官警部補上山定雄を京都拘置所に差し向けて接見させ、原告辻弥太郎、同若部初郎が自白している旨の取調情報を告げさせて自白を勧告した。
(ホ) 佐藤謙一検事は、同月中旬、荒川鹿次郎を取り調べるにあたり、荒川鹿次郎がかつて京都府議会議員選挙に立候補して落選した事実を捉え、「お前のような奴が当選しないのは当り前である。」と怒号して侮辱した。
(ヘ) 同検事は、二〇日ごろの深夜、吐血し京都拘置所で病気医療中の荒川鹿次郎を、監獄規則に規定する就寝時刻を侵して取調べた。
(原告辻弥太郎)
(イ) 河田日出男検事は、一二日、一八日、二五日、いずれも京都地方検察庁で、同原告を取り調べるにあたり、椅子に腰を掛けた同原告が、姿勢を崩して椅子に背を寄せることを咎め立てして、長時間いわゆる不動の姿勢をとらした。
(ロ) 同検事は、一四日、同検察庁で、同原告を取り調べるにあたり、「荒川鹿次郎が、同原告の立場を気の毒に思い真実を供述すると言つて、首藤了に現金五万円を贈賄した事実を自白した」旨、内容虚偽の事実を告げて、同原告に同趣旨の自白をするよう強要誘導した。
(ハ) 同検事は、一八日、同検察庁で、同原告を取り調べるにあたり、「お前は共産党員か朝鮮人か。」と罵倒し、お前のような奴は懲役ものじや、二〇〇日も勾留する旨、あるいは自分は法務大臣の命令でお前を取り調べておるのだ、自分が机上のボタン一つを押せば全国の警察官が協力する旨大声で威嚇して自白を強要した。
その際、同検事は、同庁検察事務官片山亭一に口授して、荒川鹿次郎から現金五万円の出金を受けた同原告が、原告若部初郎をして首藤了に贈賄させた旨の供述をしたような、内容虚偽の供述を調書に録取させ、同原告がこれに異議を述べると、同検事は、「認定」と叫び、「認定とはこちらの参考にすることだ。」と言つて、なおも口授して虚偽の供述調書を作成した。そして、同原告が、この供述調書の署名指印を躊躇し、一度読ませて下さいと申し出て、真実に反する自白部分を指摘しようとしたところ、同検事は、「身勝手なことを言うな、調印しろと云つたら調印したらよいんだ。」と署名指印を強要し、虚虚の自白を内容とする供述調書を作成した。
(ニ) 佐藤謙一検事は、二二日午後七時ごろから午後一一時ごろまでの間、京都拘置所で就寝直前の同原告を、暖気のない事務室で長時間取り調べたが、その際、同検事は、同庁検察事務官今西昭也に口授して、弁明に反し、贈賄金に充てるため、荒川鹿次郎から昭和三一年一〇月二五日、訴外会社振出しの金五万円の小切手の交付を受けて換金した旨の供述をしたような、内容虚偽の供述を調書に録取させ、同原告が、これに異議を述べると、同検事は、同原告の弁明事実は後日調書を作成すると詐つて、寒気に苦しむ同原告から虚偽の自白を内容とする供述調書を作成した。
(ホ) 河田日出男検事は、二五日、京都地方検察庁で、同原告を取り調べるにあたり、同庁検察事務官片山亨一に口授して、「原告辻が、荒川鹿次郎に対し、原告若部初郎の申し出により、首藤了に贈賄する目的である旨を告げて荒川鹿次郎から現金五万円の出金を得、原告若部初郎をして昭和三一年一〇月二二日首藤了に贈賄させた」旨の供述をしたような、内容虚偽の供述を調書に録取させ、原告辻弥太郎が、これに異議を述べ、この事実を裁判所で主張する旨申し出ると、同検事は、これに反し却つて、「同原告としては、荒川鹿次郎にとり不利となる重大な自白をしたが、このような自白の内容を公判廷でありのまま陳述することは到底できない」旨の虚偽の供述を録取させ、強いて署名指印させた。
同原告は、二六日、二八日、同検事に対し、この供述調書の訂正を求めるべく面会を要求したが、同検事はこれを拒否した。
(5) 公訴提起の違法
前記検察官らは、贈賄金調達日時、方法、贈賄日時、その当事者などについて、ただ、原告らの自白を得ようとして原告らを追及するだけで、贈賄被疑事件として事実を確定し、公訴を提起するについて、次の重要な点を看過した。
(イ) 原告等の各供述調書を通じ、訴外会社の金銭保管および支出方法について十分な捜査を行つた事跡がない。
(ロ) 訴外会社の金銭取扱の事実に関し、専務取締役長谷川梅太郎、会計係宮川こと三村和子を取り調べていない。これによつて金銭支出の事実の経緯が明確になつたはずである。
(ハ) 原告若部初郎の各供述調書を通じ、同原告が、周山土木工営所に賄賂の金をもつて行つた日時が確認されていない。
涜職事件の捜査では、金銭授受の日時、場所をできる限り明確にすべきことは言うまでもない。
(ニ) 同原告が、周山土木工営所へ金五万円を持参した日時を確認しておれば、同原告が、首藤了に「請求書を御届けしましたのでできるだけ早く御決裁を願いします」(乙第八号証)という供述が虚偽であることを確認し得たはずである。しかも、訴外会社から同工営所に対し、このような支払請求書を提出したかどうかについて取調べがされていない。
(ホ) 原告辻弥太郎の各供述調書を通じ、同原告が金五万円を調達した日時、方法が確認されていない。
同原告は、金五万円を調達した方法について、
(A) 社長の荒川鹿次郎への仮払金として訴外会社会計係から出金を受けた(乙第一五号証)、
(B) 荒川鹿次郎から、昭和三一年一〇月二五日、訴外会社取締役社長荒川鹿次郎振出、伏見信用金庫宛、小切手番号へ〇〇五六五六号額面金五万円の小切手一通の手交を受け、これを同金庫で換金して架空名義人への支払いとして処理した(乙第一六号証)。
(C) 荒川鹿次郎に頼んでおいたところ、会計係宮川(三村)の方で金五万円用意してくれてあつた(乙第一七号証)。
と三通りの異なる供述をしその旨の調書があるのに不確定にしたまま、いずれの調書も証拠として取調べの請求をし、みぎ小切手一通を押収し、同原告に確認させながら、証拠として取調べの請求をしなかつた。このことは、検察官が、事実を把握しないまま起訴したことを意味する。
(ヘ) 原告若部初郎の供述調書(乙第一一号証)における供述として、同原告が、原告辻弥太郎の事務机のところで金五万円の件で話をしたという場所を図示した見取図が作成されているが、その見取図の正確性の検討がなされていない。捜査を尽すことによつて表示の事務机の配置が全く事実に反することが判明したはずである。
(ト) 同工営所の訴外今西三郎の供述によれば、金五万円は、全部旅行会の費用に支出したとされているが、起訴前既に旅行参加者の取調べによつて残金分配の事実が明らかになりつつあつたのに、この点について正確な捜査をしなかつた。
(チ) 相当多数の旅行参加者の取調べは、主として、首藤了から金五万円の出金がなされたこと、この金員が賄賂として収受したものであるとの認識があつたかについてされた。しかし、旅行会一班の責任者訴外牧嘉一を全く取調べていない。もし、牧嘉一を取り調べていたら原告若部初郎と今西三郎との間で金五万円が授受された事実、費用余剰金分配の事実が判明し得たはずであり、これによつて、首藤了が、旅行費用の余剰金分配を受けた理由が判明できたはずである。すなわち、本件の金五万円は、首藤了に対する賄賂ではなく、原告若部初郎が旅行会の費用の一部として、今西三郎に手交した金員であり、今西三郎が責任のがれから、首藤了が賄賂として受け取つたと虚偽の供述をしていることが判つたものといわざるを得ない。
(四) 責任原因
以上のとおり前記検察官は、被告国の公権力を行使するに当り、原告らに対し、前記の違法行為を、故意又は過失によつて敢行し、原告らに多大の精神的苦痛を与えた。
そこで、被告国は、国家賠償法一条一項により、原告らの精神的苦痛に対する損害を賠償しなければならない。
原告ら名
(三)の(1)~(3)
(三)の(4)、(5)
請求金額
荒川鹿次郎
金五万円
金九五万円
金九九万九、九〇〇円
辻弥太郎
金五万円
金四五万円
金五〇万円
若部初郎
金五万円
金一五万円
金二〇万円
(五) 原告らの損害(慰藉料額)
荒川鹿次郎は、昭和四六年四月一一日死亡し、原告荒川ヒサ子が妻として、原告水山弘美、同荒川均、同荒川勉が実子として、荒川鹿次郎のみぎ請求権を承継取得した。その額は次のとおりである。
原告荒川ヒサ子
金三三万三、三〇〇円
そのほかの原告ら
各金二二万二、二〇〇円
(六) 結論
被告国に対し、原告荒川ヒサ子は金三三万三、三〇〇円、原告水山弘美、同荒川均、同荒川勉は各金二二万二、二〇〇円あて、原告辻弥太郎は金五〇万円、同若部初郎は金二〇万円と、これらに対する本件訴状が被告国に送達された日の翌日である昭和三六年二月一八日から各支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求の原因事実に対する認否と主張
(認否)
(一) 同事実の(一)、(二)の各事実は認める。
(二) 同事実の(三)について
(1) の事実中、接見の指定が条件付であつたことをのぞき、そのほかの事実は認める。
(2) の事実中、検察官が二一日の一回しか接見を許可しなかつたことは認める。
(3) の事実は否認する。
(4) の事実について
(荒川鹿次郎)
(イ) ないし(ハ)の事実は否認する。
(ニ) の事実中、上山定雄が荒川鹿次郎と接見した事実は認めるが、自白を強要したことはない。
(ホ) の事実は否認する。
(ヘ) の事実について
荒川鹿次郎は、京都拘置所に勾留中、感冒などの治療を受けていたので、佐藤謙一検事は、医師の許可を得て、ごく短時間、荒川鹿次郎の取調べをしたにすぎない。
(原告辻弥太郎)
(イ)ないし(ホ)の各事実中、同原告が主張の日に取調べをしたことは認めるが、そのほかの事実は否認する。
(5) の事実について
本件公訴の提起は適法であつた。
(三) 同事実の(五)のうち、荒川鹿次郎の死亡と相続の事実は認める。
(主張)
(一) 検察官らが、その面前で原告らに対し、弁護人選任届に署名押印だけさせたのは、弁護人前堀政幸が、森脇郁美検事の要求をいれ、弁護人選任届に署名押印するだけでよいと了解したからである。
(二) 弁護人前堀政幸らに接見を一回しか許さなかつたのは、刑訴法三九条三項による検察官の接見指定権を行使したからである。この接見指定権は、罪証いん滅防止のためにも機能するから、一回しか接見を許さなかつたことが、直ちに違法になるものではない。
仮に違法であるとしても、原告らは、このことについてなんらの不服申立もしていないから、損害はない。
(三) 公訴事実について無罪の判決があつたとき、その起訴が違法であつたかどうかは、起訴のときの資料と裁判の基礎となつた資料の異同を考えるとともに、起訴時の証拠の評価が、合理性を有し、経験則論理法則に違背していなかつたかを吟味してきめなければならない。
ところで、起訴時の資料(乙第二ないし第一八号証)によると次の事実が認められる。
(イ) 首藤了は、昭和三〇年一一月一日から昭和三三年一月三一日まで、周山土木工営所長として、土木工事の競争入札、請負契約の締結、実施、監督などの権限をもつていた。
(ロ) 荒川鹿次郎は、訴外会社の代表取締役、原告辻弥太郎は、訴外会社の常務取締役で工事建設関係を担当し、原告若部初郎は、訴外会社の庶務係社員として外交事務を担当していた。
(ハ) 首藤了が前記所長に就任するまでは、訴外会社は、競争入札の指名業者として指名されることは殆んどなかつたが、就任後は、同工営所と訴外会社とは、密接な関係になり、訴外会社は、昭和三一年一〇月ごろ、棚野川河川復旧工事を請負うことを切望していた。
(ニ) 同工営所は、同月ごろ、北陸方面に一泊旅行をすることを企画していたが、原告若部初郎は、工営所を訪れ、この計画と費用が不足していることを聞知した。
(ホ) 原告若部初郎は、首藤了から、それまで土木工事の入札指名などで、訴外会社が種々の便宜な取扱いを受けたこと、および、前記切望している土木工事のこともあり、さらに便宜な取扱いを受けるため、この際、首藤了に金員を贈る絶好の機会であると思い、直ちに、原告辻弥太郎に金五万円を贈ることの相談をもちかけた。
(ヘ) 原告辻弥太郎は、直ちにこれに賛成し、荒川鹿次郎の同意を得た。
(ト) 荒川鹿次郎は、原告辻弥太郎に対し、原告若部初郎を同工営所に行かせ、首藤了に、金五万円を贈るよう命じた。
(チ) 原告辻弥太郎は、同月二五日ごろ、荒川鹿次郎が用意した金五万円を、訴外会社で、原告若部初郎に手交した。そこで、原告若部初郎は、同日、工営所に行き、工営所の庶務課長今西三郎の取次ぎで、工営所長室で、首藤了に金五万円を差し出した。
(リ) 首藤了は、前記の趣旨で金五万円が提供されたことを知り、一応はその受領を拒んだが、結局受け取つた。
(ヌ) 首藤了は、今西三郎に金五万円を渡して保管させ、旅行会の費用にあてるよう命じた。
(ル) 金五万円は、旅行会の費用の一部に使われ、残額は、職員に分配された。
(ヲ) 捜査段階では、荒川鹿次郎は、犯行を全面的に否認していたが、原告辻弥太郎、同若部初郎および首藤了は、犯行を全面的に自白し、今西三郎は、ほぼ、自白にそう供述をした。
この(イ)ないし(ヲ)の各事実を総合したとき、原告らの犯罪の嫌疑は十分であり、検察官が、公判請求をしたのは相当である。
第三 証拠関係
本件記録中の証拠目録記載のとおりであるから、ここに引用する。
理由
一訴外亡荒川鹿次郎、原告辻弥太郎、同若部初郎(以下原告らという)は、昭和三三年二月二八日、京都地方検察庁検察官から、別紙目録記載の各公訴事実によつて起訴され、京都地方裁判所は、昭和三六年四月二八日、無罪の判決をしたところ、この判決は確定したこと、起訴当時、荒川鹿次郎は、訴外京阪コンクリート工業株式会社の代表取締役、原告辻弥太郎は訴外会社の常務取締役、同若部初郎は訴外会社の社員であり、訴外首藤了は、周山土木工営所長であつたこと、原告らは、昭和三三年二月一二日(以下日だけを書いたときは昭和三三年二月のことである)、京都地方検察庁で、本件公訴事実と同趣旨の贈賄被疑事件の逮捕状の執行を受け、京都拘置所に留置されたこと、原告らは、一五日、勾留状の執行を受け、京都拘置所に勾留され、二八日深夜、同所から釈放されたこと、捜査は、森脇郁美検事の主任で進められ、荒川鹿次郎は佐藤謙一検事、原告辻弥太郎は河田日出男検事、同若部初郎は板東頼稔副検事が、主として担当したこと、以上のことは当事者間に争いがない。
二弁護人選任権および接見交通権の侵害について
(一) 弁護士前堀政幸、同伊藤一雄は、原告らの家族、勤務先から、原告らの弁護人になることを依頼され、一三日午前九時三〇分ころ、前記検察官らに対し、弁護人選任手続のための接見指定を求めたところ、同庁の次席検事山田四郎は、同日午後一時から午後一時三〇分までの間、同庁で接見を許可する旨指定したが、弁護人らの都合で時刻を、同日午後三時以降とあらためて指定したこと、この弁護人らの接見は、前記検察官の面前で、弁護人選任届に原告らがそれぞれ署名押印するだけであつたこと、原告らは、身柄拘束中、二一日午前九時から午前一一時三〇分まで一回だけ、弁護人らとの接見の指定が得られたこと、この二一日は、勾留理由開示手続期日であつたこと、以上のことは、当事者間に争いがない。
(二) 捜査は原則として任意捜査によるべきであり、強制捜査は、例外でなければならない。捜査当局が、この例外である強制捜査(逮捕、勾留)に踏み切つたときには、一般的に法律にうとい被疑者は、弁護人の法律的助力を得て、捜査当局と対等の地位を回復するほかはない。
憲法三四条は、基本的人権として、抑留または拘禁された者に対し弁護人依頼権を保障したが、刑訴法三〇条は、さらに抑留、拘禁されない被疑者にまで弁護人依頼権を与えた。
従つて、捜査当局は、被疑者のこの弁護人依頼権の行使の妨げてはならない。
そうして、選任された弁護人は、被疑者に対し、法律上の助言を与えなければならない。これが、弁護人との秘密交通権であり刑訴法三九条一項がこのことを規定している。弁護人は、この秘密交通権の保障のもとに、被疑者に対し、黙秘権のあることや、供述調書に署名押印することを拒絶できることなどを告げ、被疑者から取調べの状況や取調べの段階などを聞いて、これに対処する準備を進めることができるのである。現行刑訴法上、この弁護人の秘密交通権は、まことに重大な権利であり、これがあるため、被疑者は、無理な取調べや自白の強制から免れられるといつても過言ではない。従つて、この弁護人の権利は、無制限であるのが原則である。
ところが、捜査当局は、被疑者が弁護人と自由に立会人なしに接見することにより、自白が得られず、捜査が難行し、時には事件がつぶれることを虞れ、この秘密交通権を徒らに制限しようとすることは、周知の事実であり、これは、捜査当局がいまだに自白偏重の悪弊から脱却できず、科学捜査が名ばかりの貧弱なものであることの証左でもある。
もつとも、刑訴法三九条三項は、捜査官に、公訴提起前に限り、捜査の必要上秘密交通権を制限し、弁護人との接見の日時、場所、時間を指定できる権限を与えている。しかし、同項には、但書が付せられ、「その指定は、被疑者が防禦の準備をする権利を不当に制限するようなものであつてはならない」としているが、このことは、当然のことを規定したまでであることは、以上に述べたことから明白である。
従つて、この但書を無視するような捜査官の接見指定は、この秘密交通権に対する重大な侵害であり、違法であると解するのが相当である。
(三) この視点に立つて本件を観察する。
<証拠>を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(イ) 原告らが逮捕された一二日夜、訴外長谷川梅太郎から、原告らの弁護人になることを依頼された弁護士前堀政幸、伊藤一雄は、一三日午前九時三〇分ごろ、検察官に対し、弁護人選任手続をするため、同日午前中二〇分位の接見ができるようその指定の請求をした。
山田四郎次席検事は、同日午後三時以降京都地方検察庁で接見させる旨口頭の指定をしたので、伊藤一雄弁護人は、午後三時、河田日出男検事の取調室で、原告辻弥太郎から弁護人選任届の署名押印を得た。しかし、同弁護人は、同原告との一切の会話を禁じられた。
前堀政幸弁護人も、同日午後四時五〇分ごろ、伊藤一雄弁護人と弁護人選任手続をすることができたが、これも、両弁護人が、原告らとの一切の会話を禁じられ、しかも、取調室で、取調検事の面前で、ただ弁護人選任届に署名押印を得るだけのものであつた。
そうして、弁護人らは、原告らが署名する間、原告らに背を向けて顔をあわすこともできない状態におかれた。
なお、原告らが、同日、同検察庁に出頭するため出房した時刻は、午後二時五〇分から午後三時四五分の間であつた。
(ロ) 両弁護人は、同日午後五時一〇分、次の指定請求書を提出した。
一四日午後一時から三時までの間
一五日午前九時から一〇時三〇分までの間
いずれも二〇分あて
京都拘置所
伊藤一雄弁護人は、一四日午前九時三〇分ごろ、同検察庁に出頭して指定の督促をしたが、森脇郁美主任検事不在を理由にその指定を拒否され、午後からも同理由で拒否された。
(ハ) 両弁護人は、一五日午前一〇時四〇分、京都地方裁判所に対し、「原告らが拘束を受けている期間毎日午前九時から午前一〇時までの間適宜の時間京都拘置所で接見させる」という趣旨の決定を求めて準抗告をした。
しかし、同裁判所は、二一日、この進抗告を、検察官はまだ準抗告の対象となるべき処分をしていないことを理由に棄却した。
(ニ) 他方、両弁護人は、一七日、原告らに対する勾留理由開示手続の請求をしたところ、同裁判所は、その期日を二一日午前一〇時に指定した。
ところが、森脇郁美主任検事は、二〇日、前堀政幸弁護人に対し、二一日午前九時から午前一一時三〇分までの間三〇分間、原告らに接見することができる旨の指定をした。
そこで、前堀政幸弁護人は、二一日、午前一〇時の勾留理由開示手続期日の始まるまでの間、京都拘置所で原告らに接見することができた。
しかし、この接見は、原告ら一人について約一〇分あて位で、接見の内容も、勾留理由開示手続の説明が中心になり、本件被疑事実の捜査内容にふれることは、時間的に困難であつた。
(ホ) 両弁護人は、二五日、次の指定請求書を提出した。
二六日午前九時から一一時三〇分までの間
又は、二六日午後一時から三時までの間
三月三日午後一時から三時三〇分までの間
いずれも二〇分あて
京都拘置所
しかし、検察官は、二一日のほか一回も接見の指定をしないで、二八日原告らを釈放した。
(2) 以上認定の事実から、次のことが結論づけられる。
森脇郁美主任検事は、原告らと前堀政幸弁護人、伊藤一雄弁護人との接見を嫌悪する余り、原告らが身柄を拘束されていた一二日から二八日までの一七日の間のうち、ただ一回だけしか接見の指定をしなかつた。
もつとも、もう一度、両弁護人は、弁護人選任届を作成するため原告らに会つてはいるが、このときは、原告らと弁護人らとの間で一切の会話が禁じられたのであるから、このときは、原告らは、弁護人との秘密交通権を行使し得なかつたとしなければならない。
同主任検事は、二一日に接見の指定をしたが、これは、一〇日の勾留期間の後半であるばかりか、同日は、午前一〇時から裁判所で勾留理由開示手続期日がはじまるのである。それだのに、同主任検事は、二一午前九時から午前一一時三〇分までの間三〇分間接見の指定をした。
この三〇分間は、一人当りにして一〇分足らずであり、しかも、前堀政幸弁護人は、勾留理由開示手続の説明をするのがやつとで、本件被疑事実の捜査内容にふれることができない有様であつた。
このようなにみてくると、森脇郁美主任検事は、接見指定権を濫用し、原告らの弁護人との秘密交通権の行使を故意に妨害したとするほかはない。
このため、原告らは、弁護人から適切な法律的助力が得られず、身柄拘束中、不安の念にかられたばかりか、防禦の準備ができなかつたことは明らかである。
しかし、原告らが、弁護人選任権を侵害された事実は証拠上認められない。
(四) 弁護人解任強制について
荒川鹿次郎の本人尋問の結果中には、これにそう供述があるが、証人佐藤謙一の証言に対比して、直ちに同結果中の供述を採用するわけにいかないし、ほかにこの事実が認められる証拠はない。
(五) 森脇郁美主任検事は、被告国の公務員として、検察官の職務執行に当り、原告らの秘密交通権の行使を故意に妨害し、原告らに精神的苦痛を与えたわけであるから、被告国は、国家賠償法一条一項によつて、原告らに対し、その損害の賠償をしなければならない。
そうして、その額は、原告らが請求するとおり、各金五万円が相当である。
三違法捜査について
<証拠判断省略> ほかに、原告らが主張する違法捜査の事実が認められる証拠はない。
従つて、原告ら(原告若部初郎をのぞく)のこの主張は採用しない。
四公訴提起の違法について
(一) 裁判所が有無の判決をするには、起訴状記載の公訴事実について、合理的疑いをさしはさむ余地のない程度の証明(厳格な証明)を必要とするのに対し、検察官が公訴提起をするには、被疑事実について捜査を遂げた段階で、収集した証拠の価値評価をし、経験則、論理則上、構成要件事実の証明があるとの判断に達したとき、その段階での検察官の心証にもとづいて公判請求をするのである。従つて、裁判所が判決をする際の有罪の心証と、検察官が公訴提起をする際の心証とは、自らその程度が異なるのである。
そうすると、裁判所が無罪の判決をしたからといつて、検察官の公訴提起が違法であつたと推定するわけにはいかない。とりわけ、裁判官によつて、証拠の評価が異なることに想到したとき尚更である。
従つて、検察官の公訴提起が違法であるためには、検察官の公訴提起の際の証拠の評価が、経験則、論理則上到底合理性を肯定することができない程度であるかどうかによつてきまると解するのが相当である。
本件で特記しなけれればならないことは、前述したとおり、原告らの秘密交通権の行使が侵害されたことである。
検察官が、秘密交通権を侵害して被疑者を取り調べ、被疑者がこれに応じて供述したとしても、その供述の任意性が争われた場合には、前記侵害の事実が、検察官に不利に、すなわち、供述の任意性を否定する方向に働くことに留意しなければならない。
本件では、立会検察官が、原告辻弥太郎、同若部初郎の検察官に対する供述調書を、原告ら相互の証拠として取調請求をしたのに対し、裁判所は、刑訴法三二一条一項二号にいう「前の供述を信用すべき特別の情況の存するとき」に当らないとして申請を却下した(成立に争いのない甲第二、第三、第二二号証、弁論の全趣旨によつて認める)。
そうすると、検察官は、本件の公訴提起の際、原告らの検察官に対する供述調書は、原告ら相互の証拠として取調べを請求しても、秘密交通権を奪つた以上、裁判所によつて、証拠として採用されないことがあることを念頭に、これを除外しても、被疑事実について証拠が十分であるかどうかの検討を怠つてはならないことに帰着する。
なお、判決で認定された事実は、公訴事実とは全く異なり、原告若部初郎は、昭和三一年一〇月一八日、今西庶務課長に、訴外会社の金五万円を、旅行会の寄付として手交したもので、荒川鹿次郎、原告辻弥太郎、首藤了の関知しない事実である(甲第二号証による)。
(二) この視点に立つて、原告らに対する公訴提起の違法について判断する。
(1) 荒川鹿次郎
(イ) 荒川鹿次郎は、警察官、検察官の取調べに際し、終始被疑事実を否認した(成立に争いのない甲第二一号証の一、二、乙第一八号証)。
(ロ) 原告辻弥太郎の自供調書(乙第一二ないし第一四号証)は、前述したとおり特信性がないため、荒川鹿次郎の被疑事実を認定するため利用できない。
(ハ) そうすると、残るは収賄者側の首藤了工営所長の自供調書(乙第三ないし第六号証)、今西三郎工営所庶務課長の供述調書(乙第二号証)があるだけである。
しかし、これらからは、贈賄者側の原告らのことは全く判らない。
(ニ) このようにみてくると、検察官は、荒川鹿次郎を贈賄罪で起訴するについて、公判廷で証拠調べを請求しても採用されない証拠を除外しないで、被疑事実の証明があつたとした点で、誤つた証拠評価を下したことになる。従つて、森脇郁美主任検事は、荒川鹿次郎に対し、この点で起訴するべきではないものを、重大な過失によつて起訴したとするほかはない。
(2) 原告辻弥太郎
(イ) <証拠>によると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(A) 同原告は、一〇日の警察官の取調べに対し、同原告は、昭和三一年一一月中旬ごろ、原告若部初郎から、周山土木工営所のリクレーションの費用の不足分を出すようにすすめられ、協栄建設株式会社中川季三から金五万円を個人的に借用して、原告若部初郎に渡し、同工営所の首藤了所長に渡させたと述べた。
(B) 同原告は、一二日の河田日出男検事の取調べに対し、同原告は、昭和三一年一〇月中旬ごろ、原告若部初郎から、同工営所の旅行会に金五万円位差し上げるよういわれ、首藤了に贈与すべく、二、三日後金五万円を原告若部初郎に渡して持参させたと述べ、この贈与について、荒川鹿次郎、長谷川梅太郎と協議したかどうかについては黙否した。
(C) 原告辻弥太郎は、一四日の同検事の取調べに対し、首藤了に金五万円を贈与するについて、荒川鹿次郎、長谷川梅太郎と相談したかどうか、金五万円の出所について黙否した。
(D) 同原告は、一八日の同検事の取調べに対し、同原告は昭和三一年一〇月二〇日ごろ、原告若部初郎から前記旅行会の費用として金五万円を出すよういわれ、翌日荒川鹿次郎の承諾をえて、首藤了に金五万円を贈与することにし、二、三日後、原告若部初郎に金五万円を渡して首藤了に渡させた。この金五万円は、会社の会計から、社長の仮払いで出した、と述べた。
(E) 原告辻弥太郎は、二二日の佐藤謙一検事の取調べに対し、同原告は、昭和三一年一〇月二五日、社長が同日振り出した金五万円の小切手を会計をの宮川(三村)和子に伏見信用金庫で換金させ、これを同日原告若部初郎に渡し、この金五万円は架空の金子文二に古鉄筋代として支払つたように領収書を作つて操作したと述べた。
(F) 原告辻弥太郎は、二五日の河田日出男検事の取調べに対し、同原告は、昭和三一年一〇月二〇日ごろ、原告若部初郎から、前記旅行会の費用として首藤了に金を贈与するよういわれ、荒川鹿次郎社長の承諾を得、宮川和子が小切手か何かで社長の了承を得て銀行から現金五万円を用意したものを受け取り、これを同月二五日ごろ、原告若部初郎に渡して首藤了に渡させたと述べた。
(G) 原告辻弥太郎の供述は、このように変つて行くが、最終的には、金の出所は宮川和子が小切手で現金五万円を用意したことになり、首藤了に贈与した日は、昭和三一年一〇月二五日ごろになる。
(ロ) しかし、原告辻弥太郎の供述調書中、検察官に対する面前調書は、弁護人との秘密交通権の行使が妨害された中で作成されたものであるから、供述の任意性が争われる可能性が大きい(刑訴法三一九条一項参照)。
従つて、検察官としては、同原告の供述を補強する情況証拠を集めなければならない。このような補強証拠があることにより、同原告の供述が、客観的事実に合致した真実を供述したことになり、不任意の自白であることを免れる。
(ハ) ところが、前掲乙第二〇号証によると、河田日出男検事は、長谷川梅太郎、宮川和子を取り調べたが、何の参考にもならなかつたことが認められる。
(ニ) そうして、成立に争いのない甲第三号証によると、検察官は、問題の小切手の証拠調べを請求せず、これを証拠として提出したのは、昭和三五年三月一二日の第二四回公判期日(甲第三四号証)である。しかし、金子文二名義の架空の領収書は、公判廷で証拠として提出された形跡はない。
そうすると、原告らが贈賄したとする金五万円の出所について、検察官は、小切手の換金によることに疑問を感じながら、これに代る金の出所に関し、なんらの捜査を遂げなかつことになる。
(ホ) しかも、前述したとおり、原告若部初郎の検察官の面前調書は、刑訴法三二一条一項二号書面として、その取調べを請求しても、裁判所で採用されるものであるから、除外しなければならない。
(ヘ) そのうえ、前述した収賄者側の首藤了、今西三郎の供述調書だけでは、肝心の金の出所は判らないし、小切手の線が不明になると、贈収賄の日も不確定なものになつてしまう。
(ト) このようにみてくると、原告辻弥太郎についても、原告若部初郎の自供調書は原告辻太郎のため利用できず、同原告自身の検察官に対する自供も、任意性がないとされることを考慮に入れ、十分な状況証拠を集め、その証拠によつて、同原告の贈賄の事実が認められてはじめて起訴すべきであつた。
それだのに、検察官は、このことに一顧も与えず、原告辻弥太郎、同若部初郎、首藤了、今西三郎の自供だけで十分であると考えたわけであり、金の出所について、小切手の線に疑問を感じてこの線を放棄した節があるのに、それに代る現金の出所に追及しなかつた点で、検察官の捜査は、ずさんそのもので、森脇郁美主任検事が、公訴を提起するときには、まだ証拠が不十分であつたとしなければならない。
検察官は、被疑者に重要な弁護人との秘密交通権の行使を妨害しながら、自白を得ることに汲々とし、その自白の裏付けとなる証拠の収集を怠つて、ただ自白があることを理由に、原告辻弥太郎に対し、公訴を提起したとの非難を免れない。
従つて、森脇郁美検事は、原告辻弥太郎を起訴するについて、まだ被疑事実を認定することのできる証拠が十分収集されておらず、しかも公判廷では証拠に提出しても採用されない証拠をも加えて証拠の評価をした点で過失があり、同原告に対する起訴は違法な起訴であるといわなければならない。
(3) 原告若部初郎
(イ) <証拠>によると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。
(A) 同原告は、一二日の板東頼稔副検事の取調べに対し、同原告は、昭和三一年一〇月中旬ごろ、前記工営所の旅行会の企画を知り、原告辻弥太郎、長谷川梅太郎の両名に、そのことを話して首藤了所長に贈賄することを提案した。その翌日、原告若部初郎は、直接荒川鹿次郎社長に対してもこの提案の件を話した。その日、同原告は、原告辻弥太郎に呼ばれ社長や長谷川梅太郎と相談したが、金額はいくらにするかと問われ、原告若部初郎は、金五万円位渡すことを提案した。同原告は、二、三日後、原告辻弥太郎から金を渡され、首藤了に渡した。そのとき、はじめ、今西三郎庶務課長に差し出したが断わられ、直接首藤了所長に手渡したと述べた。
(B) 同原告は、一二日の同副検事の取調べに対し、同原告は、荒川鹿次郎社長、原告辻弥太郎と相談のうえ、首藤了に金五万円を贈与したと述べた。
(C) 原告若部初郎は、一四日の同副検事の取調べに対し、前同旨のことを述べた。
(ロ) 結局、同原告の供述からは、金の出所とその日は判らない。ただ原告辻弥太郎、荒川鹿次郎と相談して昭和三一年一〇月中旬ごろ、金五万円を首藤了に手交したというにすぎない。
ところで、同原告についても、同原告の検察官の面前調書は、その任意性の否定される可能性があり、同原告のため、原告辻弥太郎の自供調書を証拠として取調請求しても裁判所で採用されない可能性があるわけであるから、このことを考慮し、これらによらないでも、原告若部初郎が、首藤了所長に昭和三一年一〇月二五日ごろ、金五万円を贈賄したことが認められる証拠が必要になつてくる。
(ハ) そうして、その証拠としては、収賄者側の首藤了の自供調書と今西三郎の供述調書があるだけである。
この証拠(乙第二ないし第八号証)から判ることは、今西三郎は、昭和三一年一〇月二〇日ごろ、首藤了が、原告若部初郎から金五万円を受け取つたと供述し、首藤了は、同月二五日ごろ、原告若部初郎から社長から預つたという金五万円を受け取つて、今西三郎に渡したところ、今西三郎は、同月末日の旅行会の費用の一部として使い、残額は旅行会の参加者で均分したと供述していることである。
従つて、この首藤了、今西三郎の供述は、前記原告若部初郎の供述と大筋で一致する点で、同原告の供述の裏付けにはなる。
しかし、前述したとおり、同原告の供述調書が証拠として採用されないときには、収賄者側の首藤了と今西三郎の供述調書しかないことになる。
ところで、検察官が贈収賄事件を起訴するとき、収賄者の供述だけで起訴することはまだ不十分であり、収賄者側の供述を補強する裏付証拠を必要とするとしなければならない。
その裏付証拠は、原告若部初郎が昭和三一年一〇月二五日ごろ、同工営所にきたのを目撃した者があるのか、同原告は、そのほか何時工営所にきたか、同原告は、そのころ、同工営所に何か書類を提出していないか、旅行会の計画はどんな経過をへて具体化されたのか、金五万円がなければ旅行会はどうなつていたのか、旅行参加者は、費用の点についてどう理解していたのか、一班の旅行世話役上谷主事は、今西三郎から、どう説明を受けて金二万円五、〇〇〇円を受け取つたうえ、旅行に持参したのか、などについてでなければならない。
そして、前述したとおり、小切手の線は、検察官が放棄しているのであるから、贈賄の日と金の出所の確定のため、これに代る線の捜査が必要であつた。
(ニ) このようにみてくると、原告若部初郎についても、森脇郁美主任検事が、本件の公訴を提起する段階では、まだ公訴を維持することができるだけの情況証拠がなかつたわけである。それだのに、同検事は安易に、原告辻弥太郎、若部初郎、首藤了の各自供、今西三郎の供述が一致したことだけで十分であると速断し、その裏付証拠の捜査をおろそかにしたとの非難を免れない。
検察官は、原告若部初郎の弁護人に対する秘密交通権の行使を妨げたのであるから、その結果陥るであろう公判廷での立証の困難性に対しては、十分なる情況証拠の立証ができるよう捜査に格別念を入れるべきであつた。しかし、森脇郁美主任検事は、このことに一顧を与えず、情況証拠の収集を尽さないで、原告若部初郎に対する公訴を提起したもので、同原告に対する公訴の提起は、まだ十分な捜査を遂げないうちにずさんな公訴を提起をした点で過失があつたとしなければならず、これは、同原告に対する違法行為である。
(三) 原告らに対する公訴の提起は、違法であることに帰着するところ、原告らは、これにより、尽大な精神的苦痛を被つたことは勿論である。そうして、これは、被告国の検察官の違法な職務執行によるものであることは明白であるから、被告国は、国家賠償法一条一項により、原告らの損害を賠償しなければならない。そうして、その慰藉料の額は、次のとおりが相当である。
荒川鹿次郎 金九五万円
原告辻弥太郎 金四五万円
原告若部初郎 金一五万円
五むすび
荒川鹿次郎は、金一〇〇万円(ただし請求額は金九九万九、九〇〇円)、原告辻弥太郎は、金五〇万円、原告若部初郎は金二〇万円を請求できるところ、荒川鹿次郎は、昭和四六年四月一一日死亡し、原告荒川ヒサ子がその妻として、原告水山弘美、同荒川均、同荒川勉はその実子として、荒川鹿次郎のみぎ請求権を相続によつて承継取得したことは当事者間に争いがないから、その額は、原告荒川ヒサ子が金三三万三、三〇〇円、そのほかの原告らが各金二二万二、二〇〇円になる。
そこで、原告らは、被告国に対し、みぎ金員と、これらに対する本件訴状が被告国に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和三六年二月一八日から支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるから、この支払いを求める原告らの本件請求を正当として認容し、民訴法八九条、一九六条に従い主文のとおり判決する。 (古崎慶長)
<目録略>